以前、生徒のモチベーションをあげる指導、ポイントはこの6つ!の記事で
生徒から、「自分は本当に大丈夫なのだろうか。」と相談されたとき
教える立場である教師は迷いを見せてはいけません。迷わず「成功を前提に」話をすすめます。
(略)
生徒が迷っていたり、不安があるようなら
教師として「迷わず」、「成功を前提に」話をすすめてあげる。
こうすることで、生徒はモチベーションを維持しやすくなります。
といいました。
その記事の中で、話の進め方には
ともお話しました。
本日はその話。
年代別、教師としての振るまい方・生徒へ指導をする際のスタンスについて深く語っていきます。
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目次
教師のスタンスは、年代によって求められる内容が違う
さっそくですが、年代ごとによって、ベストとされる教師のスタンスはこうです。
- 20代は共感する事
- 30代は先導する事
- 40代は教え諭す事
- 50代は達観する事
10年以上高校教師をしていた経験(プロフィールはこちら)に基づくものと、その経験で見聞きした意見を、ごちゃまぜにして、自分なりに消化したものです。
今でもその通りだな、って言い切れます。(きれいごと、と言われようが。)
しかもこれの面白いな、と感じるところは年代を超えて(役割を超えて)指導すると、上手くいかないことが多いってところです。
20代は、共感する事
20代の求められるスタンスは、「共感すること」です。
20代のアドバンテージは、圧倒的な若さ。これに尽きます。
私も一杯失敗してきました。
参考
そして、早く「一人前になりたい」って思います。
- 生徒に、なめられることもしばしば。
- 教科指導力には自信があるのに、生徒がついてこない。
- 周りの教師からは、「まだ、若いから」って言われる。
- 空回りが多い。
- 思ったような立ち振る舞いができない。
これが積もり積もると、「思ってたんと、違う」ってなってしまって

ってなりますよね?
そもそも、20代でいきなり、それを体現できる人って、そうはいません。
「私は一人前の教師になっている」と思っていても、独りよがりの可能性が大いにあります。
ついつい、GTOだとか、殺せんせーだとか(人間じゃないけど)の影響で、すぐに
- 生徒を惹きつける
- 魅力を見せつける
- 頼られる
そういった先生に、なれる!って意識しちゃいます。
「生徒を惹きつけたい!」「魅力を見せたい!」「頼られたい!」と意識すること自体は、まったく悪いことじゃありません。
しかし、それは
というものです。
20代に求められるのは、大人と子供の狭間で、共感し、理解してくれること
教師や保護者はもちろんのこと主役である生徒からも、あなたに頼りがいや威厳を求めてはいません。
共感してくれること、これを求めています。
むしろ、学校中探してあなた達20代の先生以外に、教師(学校)と生徒の狭間に立って「生徒目線」で共感してあげられる先生はいません。
もちろん、あなたの立場は教師です。
生徒と友達ではないので、教師としての”一線”は引いてください。
これを「なぁなぁ」にすると、次のステップに移るのに苦労します。
具体的にいいましょうか?
- 「生徒を愛称で呼ぶ」
- 「何でもお前らの味方だよ、学校は敵だよね?」アピール
- 「いつでもあなたたちには私がいるからね。」
これらは、避けたほうがいいでしょうね。
一時の信頼は得られるでしょうが、この先長くは続きません。
- 対、生徒
- 対、保護者
- 対、教師
のいずれかで、失敗や挫折をすることになります。
若いうちは、失敗してなんぼ!と思うので、その失敗もアリだと思いますが、どうせなら、失敗や後悔は少ない方がいいですよね?
博多高校の事件も、「威厳」を体現していたのでは?と感じる
2017年9月に起こった「博多高校の暴力逮捕事件」でも、個人的には「なぁなぁにしたのかな?」って思っています。
映像にあった新任の先生は「正しい行動」をしたと思います。これに異を唱えるつもりもありません。
というか、本気でこの問題について言及するなら軽く1本記事ができてしまうので、深入りしません。
でも一言だけ、所感を述べるなら
って思うんです。
私は記事を読んだだけで、生徒はもちろんあの先生のことだって、1㎜も知りません。
ひょっとするとあの新任の先生は、「恐怖」で何もできなかったかもしれません。
しかし、映像を見る限りでは
- 「教師たる者、手を挙げてはいけない」
- 「教師は、黙って耐え忍ぶべきだ」
というような「威厳」や「器の大きさ」を表そう、としていたのかもしれない。
もしくは「今の時代、教師が手を上げたら、大問題になる。」って考えたのかもしれない。
でもそうじゃないんだよな…、って私は思うんです。
私がいう「共感」っていうのは、何も「生徒のご機嫌をうかがうって…。」という意味ばかり、じゃありません。
10代が感じる憤りを、そのまま共感して体現する。
これも、共感のスタイルだと思います。
普通、蹴られて、憤りを感じない人はいません。
むしろ「器のでかさ」や「教師たるや」を見せつけたかったら、生徒が席を立った時点で

と諭し未然に防ぎます。
それを聞いてもなお、生徒が止まらなかったから、迫ってくる生徒を受け止める。
これが、器のでかさです。
あの一瞬だけを切り取った映像をみる限りでは、「そうではなさそう。」と思っています。
色々と思うところもありますが、すこし話が脱線したので戻しますね。
20代の教師の極意
生徒のよき理解者であり、教師(学校)と生徒の狭間で、生徒に共感してあげられること。
30代は、先導する事
30代になれば一巡、又は二巡している(入学から卒業までを、経験している)ので
- 該当学校の、教育方針など、教育の全体像
- およそ、生徒の悩み、生徒の欲しがっている言葉がわかる
- この時期に何をすべきか?といったタイムラインがわかる
このような生徒指導上・進路指導上において、「すべきこと・やるべきこと」のアウトラインが見えているハズです。
むしろ30代までに見えてないと、リアルガチでヤバイです。
アウトラインが見えてきている30代だからこそ、できることがあります。
先導することです。
経験と知識を携えて、アウトラインを示す存在
30代は俗にいう、「脂がのっている」と言われる世代。
学校の現場を動かすのは30代です。20代でも40代でもありません。
ましてや50代でもありません。
だからこそ苦悩ややりがいも見失いがちです。
特に金銭面においては…。
参考
20代は(表現悪いですケド)「中身がペラペラ」でも、生徒はついてきます。
しかし、30代となれば違います。
一回り以上離れているがゆえ、価値観や感覚も少しずつずれてきています。
しかし、20代にはないモノがあります。
経験です。
この経験を生かした教育・指導は、20代では体現・表現することができません。
なぜなら、座学や教科書なんかでは身につかない知識なのですから。
それゆえ、30代に求められるスタンスとしては
これが求められますし、40代、50代と比べれば、感覚が若いぶん「的外れな道案内」には、絶対なりません。
共感しているだけでは、前に進めません。
足踏みをしている状態です。
30代は、そんな生徒を引っ張って、強制的に動かすことが必要になってきます。
強制的に先導してあげられるのは、30代が最も適しています。
知識量をとっても、体力面においても。
30代の教師は、ぜひとも「生徒を、先導して引っ張っていく」このことを意識してほしいです。
30代教師の極意
アウトラインが見えてきているからこそ、生徒を先導していくこと。
40代は、教え諭す事
採用試験を受けて、教師になった人の職種を「教諭」と言います。
この、教諭というのは「教え諭す」という意味。
「教え諭す」とは、デジタル大辞泉(小学館)によれば
物事の道理を、相手がよく理解できるように、話して聞かせる。
ということです。
あなたの周りでいませんか?
40代にもなって
- 「生徒のよき理解者である、と(勘違いして)」
- 「何でもかんでも、共感している」
こんな先生。
40代に求められているのは、共感ではありません。
です。
20年近いキャリアをもち、さらには保護者の年齢に近い存在として、「保護者」としての感性も持ち合わせている。
生徒はもちろんのこと、保護者ですら40代のあなたに対して「”先生”としての意見、アドバイス」を求めています。
[caption id="attachment_517" align="aligncenter" width="400"] 出典 ©SQUARE ENIX[/caption]教師に限ったことじゃないですが、教えるということは、ただ知[…]
先生としての「答え」を提示して、教え諭すこと
20代・30代では、どうしても「若い」というフィルターがかかってしまうので難しいんですが、40代ともなれば(若さの)フィルターが外れるので、(保護者と同じ)「同年代からの言葉」ってだけで、思いのほかあなたの言葉が心に響きます。
そこに「教師」としての重みも乗っかる。
大袈裟に言えば
訳です。

と感じる先生が身近にいませんか?
その先生は、40代ではないですかね?
たとえ、受け入れがたい内容だったとしても、40代の先生から発せられる言葉というのは「答え」である可能性が非常に高く、その(乱暴に聞こえてしまう)先生の言葉が、生徒に対して(もちろん保護者も)スッと入ってきます。
これを、20代の先生がマネしても上手くいきません。
生徒や保護者に対して「ブッた答え」である可能性が高いから、響きません。
答えを伝えたいなら、40代になってからすべきです。
むしろ、20代や30代では答えに重みが出にくいので断言や名言は避けた方がよいかもしれませんね。
40代の教師の極意
教師としてのキャリアを活かして、答えを提示してあげる。変に寄り添う必要はない。
50代は、達観する事
「達観」とは
細かい事に迷わされず、道理・真理を見きわめること。また、物事にこだわらず、どうなろうとも動じない心境になること
です。
この年代ともなると
- 学年主任
- 分掌長(部長、科長など)
になっており、生徒一個人を対応するというより
が求められています。
中には、「管理職試験、受けないか?」と肩たたきをされる人もいるでしょうね。
参考
- 担任業務をははずされ、学校運営に関わる
- 後輩教師の指導にあたる
教師本来の仕事(=対、生徒)というのから離れて「対、教師」の仕事が増えてしまうのが、50代です。
正直なところ、50代の教師はこうあるべきだ! みたいな答えはわかりません。
しかし、過去に出会った(尊敬できる)50代の先生達を見て思うのは、言葉の重みがあるってことでしょうか。
30年以上に渡って教師の職を全うしてきた人たちの言葉というのは、それなりの「重み」があるなぁ、と感じます。
30年分のノウハウの蓄積、データの蓄積があるわけですからね。
50代にもなって
- 「しょーもなっ!」
- 「ズレてんな!」
と思う発言や指導も多々ありますが、やはり圧倒的な経験値の差・データの差というのは、予想外や想定外(緊急事態)の時などに役立ちます。
まさしく「どうなろうとも、動じない=達観」というスタンスですね。
ただし、価値観の押しつけは避けたいところですね。それでは後輩はついてきませんから。
50代教師の極意
達観し、後輩教師や学校全体のために尽力する。価値観の押しつけや決めつけには気をつける。
まとめ
教師には、年代に応じて、そのスタンスがあります。
- 20代は共感する事
- 30代は先導する事
- 40代は教え諭す事
- 50代は達観する事
もちろん、年代を超えて指導することは可能ですし、それが出来る人も多いでしょう。
むしろ、年に縛られて窮屈になるようなら、無視した方がいいくらいです。
本当に教えたいコト・伝えたいコトってのは、年齢なんかに関係しないですから。
しかし多くの場合、世代を意識しないで指導をすると生徒の心には響きにくいのも確かです。
20代の先生が、「教師たるはなんぞや、生徒たるはなんぞや」といっても、生徒を心底納得させるのは難しいですよね?
50代の先生が、「行き当たりばったり、その場のノリで」指導していたら、「なんだこいつ?」ってなりますよね?
年代に応じたスタンスで接して上げると、最短距離で生徒との信頼関係が築けます。
悩みが多くなりがちな、20代、30代の方にとって、この記事が参考になりますように・・・。
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