教師に求められる力

教師に求められていることってホント多すぎ!

教師に求められる力

突然ですが、ここで問題です。

○○教育

空欄(○○)に入る適当な言葉を答えなさい。

 

さぁ、どんな答えが思い浮かびますか?

 

実は、正解数が80~140個くらいもあるらしいので、大概思いついた答えは正解だと思います。

そしてこれの何がすごい(怖い)って、そのほとんど全てを

今の教師は教えるべきである

って(暗に)言われて、授業やカリキュラム、先生自身の研修として組み込まれている事なんですよね・・・。

本日はそんなお話です。

 

日本の先生は教えることが多すぎる?

日本の教師はいくつもの教育をさせられている

冒頭の問題の答えですが、一例を挙げると以下の通りになります。

  • 国語教育
  • 算数教育
  • 英語教育
  • 道徳教育
  • 国際(理解)教育
  • 交通安全教育
  • 防災教育
  • 金融教育
  • 情報教育
  • プログラミング教育
  • キャリア教育

etc・・・

探せばたくさんあるようです。

教育という名前にはなっていませんが「食育」なんかもそうですよね。

 

「○○指導」って言葉もそうですよね。

  • 部活指導
  • 生徒指導
  • 進路指導
  • 教科指導

etc・・・

 

日本では小学校の先生なら1人で30人~40人の児童(生徒)を見ます。

中学や高校なら担任・専任制になるので、100人~250人くらいの生徒を見ます。

もちろんその同数(またはそれ以上)の保護者に対しても関わっていきます。

 

それぞれの子ども達に対して私たち教師は、上記に挙げた「○○教育」を意識しながら「教科指導」を中心に授業や教育活動をすすめていくように・・・って言われていますよね。

 

・・・。

ちょっと多くないですか? いや多すぎやしませんか?

全部一人で教えてたら、ワンオペブラック企業も甚だしいですよ。

と突っ込まずにはいられません。

 

ホント、日本の先生は教える(べきとされている)ことが、多すぎる印象です。

 

多くのことを教えるため、校則があるはずなのに

どちらが客観的にみてよいと判断されるか
© 2017 KANKO GAKUSEIHUKU CO., LTD. ALL RIGHTS RESERVED.

ホント今の先生に求められる力って、ものすごく多岐にわたっていますよね。個人の力じゃとてもカバーしきれないので、同僚とチームを組んで・・・とか「学校全体として」取り組んでく、って事が大事になってくるんでしょう。

そんな中でもわかりやすいのが校則。

本来「校則」って、多岐にわたる教育活動を円滑に進めるためにあるはずです。

それなのに「ブラック校則」なんて言葉ができましたもんね。

 

でも現役や既卒生たちなど「生徒たち」にとっては

男性普通顔

学校で学んだことなんて何にも役に立たなかった。

男性普通顔

校則超うざい

って感じで、伝わり方もさまざま、残り方もさまざま。

 

教育したことはほとんど残らず、校則に至っては「ペナルティ」「罰則」だけが残って、本来の目的が薄れちゃってますよね。

試しにTwitterで「#先生に届け」と検索してみて下さい。各校の面白い(失礼)校則がのぞけるかもしれません。

参考:【ブラック校則撤廃について】高校教師・現場経験者だからこそ感じること

 

先生個人はもちろん、学校としても限界を感じる

学校教育にも

創意工夫が大事
PDCA(計画・実行・評価・改善)が大事

と言われるんですが、なんせ○○教育って100種類前後あるんですよ・・・。

 

一つのイベントや企画に対して、創意工夫やPDCAを回すなら、時間的・肉体的・資産(予算)的にもじっくり時間をかけてあげることが可能でしょうが、なんせそれを「100通り」考えなくてはいけませんからね。

日本の悪いところって感じます。あれもこれもって。まずはシンプルに考えるところから始めてみたらいいのに、って思います。

参考

働き方に悩む教師に、おすすめの1冊

 

自分(学校)がよかれと思ってやっている教育的指導も、人によっては全く響いておらず。

何もしなけりゃ何もしないで無能扱い、税金泥棒扱い。

 

小学校の時に交通安全教育をしていても、中学生になればスマホ見ながら歩き始めるし、大人になれば信号無視だってする。

成長は鈍化することである。

と、昔教育関係の講義で聞いた事がありますが、鈍化を通り越して劣化だと思っちゃうんですよね。

少々愚痴が過ぎました。話を戻します。

先生個人や学校として、いい加減成長するためにも

世間の声や周りに過敏に反応するのではなく、鈍化させて成長させる。

これをしないと、限界がきてしまいます。

今後の日本の教育はどうなるのか?

昔は教師の立場が上、今は同じか低い位置

以前「これからの教師の仕事はどう変わる?!」でも今後の先生の存在意義みたいなのは話しましたが、今後の日本が取るべき教育の方向性、ひいては

今後の日本の学校の在り方

ってどうなっていくんでしょうね。

 

例えば学校の在り方については、大きく2つに分けることができるようで

多様な・格差・有償の方向性、私的責任
画一的・平等・無償の方向性、公的責任

日本はどちらに進みたいんでしょうか。

それぞれ有名なところ(教育の実績をあげている国)で言えば以下があげられます。

学力重視で出生や身分に関わらず、結果のみ(テスト)で判断するという意味で平等を実現し、「格差化」を重視したシンガポール。

教育や学校は社会的な意義が高いと考え、完全無償化を実現、民族的な背景もありながらも「協調的」を重視したフィンランド。

 

日本のお偉いさんや(一部の?)教育評論家達は「フィンランド」の方に舵を切ろうとしている雰囲気がありますが。

今後の日本の教育、日本の学校の在り方ってどうなるのでしょうか。

私としては、冒頭説明した通り〇〇教育と名のつくものが100種類以上もあるような教育スタイルがそもそもアカンと思うので、まずは

シンプルにする、やるべきことを明確化する

これが大事なんじゃないかなぁと思います。

なんでもかんでも「詰め込もう」「新しいものを取り入れよう」とする従来のやり方を根本的に見直す必要があると感じます。

主体的対話的深い学びを!と叫んで「アクティブラーニング」を導入するのは結構ですが、部活動を切り離したり、教師のやるべきことを明確化することが、超重要だと感じます。

 

あわせて読みたい記事

 

先生に求められている力とは

教師に求められる力
男性普通顔
〇〇教育に力を入れろ! そのために資質・能力を伸ばせ!

という前に、今の先生に求められている力とは

鈍感力や断捨離力

これが必要だと感じます。その上で

 

こういったのが大事になってくるんじゃないでしょうかね。

昨今の働き方改革の一環でもある「副業」ってのも、教師に取り入れたりしながらね。

参考教師の1日。問題点と改善点

あわせて読みたい記事

 

教師に求められる力
気に入ればフォロー